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認知症について・その1

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昨年亡くなった私の実母は認知症であった。

どの病気でも、どの怪我でも、心身ともになんらかのダメージを受けることに違いはない。
それは、当人も、そしてその家族も。

どの病気で亡くなったとしても、致命的な病というものは、本人にとっても、家族にとっても、大いなる学びとなって・・・そして、大いなる試練となって立ちはだかる。

母が認知症だと確定診断が下ったのは、今から4年前。
確定診断が下った3ヶ月後、私は母が認知症対応型グループホームに入所できるよう手続きをした。

認知症は、幸か不幸か、致命的な病ではない。
しかし、認知症を患った人と真剣に向き合い、そして真剣に対処しようとすればするほど、その家族にとって認知症という病はそれを患った人の人格の死を意味する。
語弊があるかもしれないが、その人が一度死んだのだと思わないことには、前に進めないのだ。

そういう意味も含めて、私は「認知症」と呼ぶのは妥当だろうと思っている。
本人が認知できなくなってしまった病。
そして、その人が認知症となってしまったということを、家族が認知するべき病。

認知症だと認知すること、そしてそれを受け入れること。
このことができずに、最初、家族は苦悶する。
事実、私もそうだった。

予兆はその数年前から始まっていて、「もしかして認知症の気があるのではないか?」とは思っていたが、それが激化するまではその「もしかして」を保留したままだった。
激化して・・・手に負えなくなってしまって、私は本当に途方に暮れた。
私はただ一人、母に向き合った。

2005年4月、症状が激化して妄想を語るようになった。
最初、その妄想と霊現象との区別がつかず、私は戸惑ったけれど、
それは霊現象などではなかった。

その2年前から時おり発作がおきて、眼がみえず、体が動かず、呼吸もままならなくなり、それは30分~1時間ほどで何事もなかったように回復するのだが、私はその発作が酷かったあとには幾度か脳専門病院へ連れていった。
そのたび、CTやレントゲン検査、もちろん問診もするのだが、医者は認知症ではないと断言した。

しかし、その4月以降、その発作も頻繁に起きるようになった。
それに日々の妄想。
お金がないの。
あら?あの女の子はもう帰ったのかしら?
お父ちゃんがいない(すでに他界)。
そして、一番は私への言葉での罵倒。一日5時間~7時間。
深夜までそれは続き、私はひたすら謝り続けた。
・・・ごめんね。本当にごめんなさい。そしてありがとう。
生まなければよかった、このくそむすめ。
おまえなんて死ねばいいんだ。早く首でもくくれ。
・・・わかった、そうするから。だから本当にごめんなさい。
そう言い続けた毎日。

私のなかで、母が死んだのは昨年の11月ではない。
2005年の4月である。

そして、なんで私を生んだの?と泣いて詰め寄る彼女には、
ひたすら祖母の代わりとなって謝罪し続けた。
本当にごめんね、と。赦してください、と。

認知症の症状が進んでしまうことは、とても悲しい。
私のことを娘として認識できなくなる日が来るのだろうか?
そう思うと、胸が張り裂けそうだった。

しかし、その裏腹にいっそのこと早く進行してしまってほしい、と願う気持ち。
それはね、進行してしまったほうが、きっと本人が楽だから。

症状が激化する少し前、たぶん2005年1月ごろ、母から買ってきて、と頼まれたものがある。
それは「単語帳」。
懐かしいな~と思った。中学生のころ、英単語を覚えるのに使ったっけ。
何に使うの?と聞くと、笑って母は言った。
最近、忘れっぽくて。
なんでも忘れちゃうから、書いて何回も読んで覚えようと思うの。だから買ってきて。
症状が激化する直前だったけれど、既に私は明らかに彼女が認知症であることを確信していたものだから、この彼女の努力をみたとき、胸をかきむしりたいほどの痛みを感じた。
今でも100円ショップなどで単語帳を眼にすると、そのときのことを鮮明に思い出してしまう。

その年の4月以降、本当にみるみる間に症状が悪くなり、私は途方に暮れるばかりでなく、心身ともに疲れきってしまった。
そのころ私はまだ会社員をしていて、ドラッグストアの店長をしていた。

そのころの日課。
朝8時~夜8時が営業時間のドラッグストアだったから、早番のときには毎朝5時に起きた。
母の朝食と、昼食を作る。
昼食はラップをかけて、冷蔵庫にしまう。
それから一日分の母の薬(その頃、いろんなものを大量に処方されてしまっていた)を誤飲しないように、朝、昼、夜、寝る前とに分ける。
そして仕舞う。
仕舞う場所も毎回変える。
そうしないと、私がいないときにみつけだして、何度も飲んでしまうからだ。
それから母を起こして朝食を食べさせる。
言っても無駄ではあっても、昼食が冷蔵庫に入っているからね、と言って仕事に行く。
・・・仕事から戻るときに買い物を済ませ、そして家に戻って冷蔵庫をあけると、昼食はそっくり手付かずのまま。
それを自分が食べ、そして夕食を作る。

夕食を食べながら、彼女の私への攻撃がスタートするときもあったが、大体は食べ終えてからだった。
夜7時か8時からそれはスタートし、深夜1時か2時ごろまで続いた。
寝せようとしても寝ないと言い張るので、私は一度自分の部屋に入る。
でも、台所のダイニングテーブルで奇声を発している母をそのままにして眠るわけには、もちろんいかない。
私は部屋で母がおとなしくなるのをひたすら待った。
待ってから、そっと台所へ行く。
睡眠薬が効いて、やっと眠気を催した母をそっとベッドに運ぶ。
そんな毎日。
睡眠時間は、わずか2時間だった。

もちろん、そんな睡眠時間をずっと続けるわけにはいかない。
けれども、私のことよりも、私が居ない日中、母が何をしているのか、何を食べているのか、そちらのほうが心配で仕方がなかった。

膝が少し悪かったので、すでに介護保険の認定は受けていたので、ヘルパーさんなど頼む気になればお願いできたが、
「ヘルパーなんて頼んだら、そいつを刺し殺してやる」というので、
頼めなかった。

私がこうしてシェアしていることを、きっと母は赦してくれると思ってこれを書いています。
あら、私ったらそんなこと言ってたの?と笑っていることでしょう。
このシェアがなんらかのお役に立つならば・・・私は喜んで、いえ、私も母も喜んでシェアさせていただきます。

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